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映画『響』感想~我々はなぜ魅了されるのか~女優・平手友梨奈の魅力に迫る

  • 2020年11月14日
  • 2020年11月27日
  • 邦画

私は映画『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』で欅坂46のことを知り、そして、平手友梨奈というアーティストのことも、この映画を通して知りました。

もちろん、欅坂46というアイドルグループが存在していることは知っていました。

でも、彼女たちのパフォーマンスをまともに観たことはありませんでした。

そんな私が、偶然にも彼女たちのドキュメント映画を観て、ただわけも分からず圧倒され、MVを観てさらに熱狂し・・・と、その感想については以前に書いた通りです。

彼女たちの持つ、劇的で圧倒的なものに惹かれ、MVの他にもメンバーの出演している作品はないかと調べていたところ、平手友梨奈の主演映画『響』にぶつかりました。

2018年公開ですから、今から2年前。そういえば確かに映画館で『響』のポスターを見た覚えがあります。

壁のようにうず高く積み上げられた本の前で、制服姿で片膝ついて、眼鏡越しにこちらを見据えている女の子。

とても印象的でした。

が、なにせ当時の私は、欅坂のことはもちろん、平手友梨奈という名前さえ知らなかったのです。

結局この映画を観ることはありませんでした。

公開から2年が過ぎ、ようやく出会うことになった平手友梨奈主演の映画『響』。

この2年で、平手友梨奈をとりまく環境は大きく変わりました。

平手は欅坂から脱退し、欅坂自身も櫻坂に改名してリスタートを切りました。

2年前に、この2年後を、誰が想像できたでしょう。

私自身、もし2年前にこの映画を観ていたら、きっと今とは違った印象を受けていたにちがいありません。

でも、私は2年後のこの現状の中で、映画『響』を観ました。

するとまさに、今の平手の姿が、ある意味暗示されていたかのようにも思えてくるのでした。

今の彼女を映し出すような台詞や演技の数々。

そこで、平手友梨奈という表現者の魅力を、映画『響』から紐解いてみたいと思います。

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平手と響の共通点~我々はなぜ魅了されるのか

映画『響』について

スマートフォン・SNSの普及により、活字離れは急速に進み、出版不況の文学界。そこに現れた一人の天才少女、彼女の名は『響』(平手友梨奈)。15歳の彼女の小説は、圧倒的かつ絶対的な才能を感じさせるもので、文学の世界に革命を起こす力を持っていた。文芸誌「木蓮」編集者の花井ふみ(北川景子)との出会いを経て、響は一躍世の脚光を浴びることとなる。しかし、響は、普通じゃない。彼女は自分の信じる生き方を絶対曲げない。
世間の常識に囚われ、建前をかざして生きる人々の誤魔化しを許すことができない。
響がとる行動は、過去の栄光にすがる有名作家、スクープの欲だけで動く記者、生きることに挫折した売れない小説家など、様々な人に計り知れない影響を与え、彼らの価値観をも変え始める。一方、響の執筆した処女作は、日本を代表する文学賞、直木賞・芥川賞のダブルノミネートという歴史的快挙にまで発展していく。『響』公式HPより抜粋

原作は「マンガ大賞2017」大賞受賞作品です。

北川景子、小栗旬、高嶋政伸、柳楽優弥といった超豪華俳優陣が出演。

個人的には、響が所属する文芸部の部長役を演じるアヤカ・ウィルソンに注目です。

8年ぶりの映画出演となる彼女。

そのときに出演の映画『パコと魔法の絵本』は、私の中で、邦画で3本の指に入る作品です。

平手は映画をやりたかったの?

実はこの映画を観た私の最初の印象は、平手は本当にこの役がやりたかったのか?という疑問でした。

この映画は、制作サイドの都合で、平手ありきの企画がまずあって、平手に合いそうな原作を無理やり探してきたという、まったく大人の事情で作られた映画だったのではないか?と思ってしまったからでした。

後から考えれば、なぜそう思ったかは、平手があまりにも役にハマっていたからなのですが…。

他の追随を許さない、これまでのアイドルとは一線を画した存在として認知され始めた平手のイメージを、平手自身の思いとは関係なく、商品として、ひと儲けしてやろうという大人たちの顔が思い浮かんでしまったからでした。

平手は無理してるんじゃないか?
本当は映画なんてやりたくなかったんじゃないか?
商品化された平手友梨奈を無理して演じようとしているのではないか?

そんなふうにも思ってしまいました。

それは、映画公開からの2年間、表現者として圧倒的なものを持ちながら、それゆえに精神的、肉体的に追い込まれ、体調を崩してしまった彼女を知ってしまったからです。

平手一択だった映画『響』

しかし、その考えはまったくの杞憂でした。

映画『響』の公式HPや、『響』についての当時の記事などを読むと、監督や原作者にとって、響役は平手友梨奈一択だったことが分かります。

特に原作者の柳本光晴さんは「サイレントマジョリティー」を見て、もし実写映画化されるなら、響役は平手友梨奈しかいないと、すでにそのとき思っていたというのですから、その先見性、平手に対する思い入れは相当なものです。

また平手自身も、響の生き様を「カッコいい」と感じたからこそ、映画初出演にして初主演という不安とプレッシャーの中、オファーを受けたと言います。

原作者、監督、そして何よりも平手本人の『響』に対する熱い思いが、『響』映画化の原動力として強く働いていたのです。

響と平手の共通点①好きだという気持ち

響は、努力とか親の影響とか育った環境とか、そういうものとは関係なく、持って生まれた天賦の才能として、傑作小説を書く少女として描かれます。

とにかく小説が好き。読むのも書くのも。

一方の平手も、ある意味天才肌と言えるでしょう。

それは欅坂の他のメンバーも認めるところです。

映画『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』でも、そのことはたびたび語られています。

見えないところで人一倍の努力もしているでしょうが、響と同じく、歌うのが、踊るのが、平手はとにかく好きなのです。

響も平手も、誰かを見返してやりたいとか、有名になりたいとか、認められたいとか、そういう目的で書いたり、歌ったり、踊ったりしているわけではありません。

とにかく好きなのです。

映画の中で、小説が好きかと聞かれて「好き」と答える響の、なんとも言えない表情。

普段はほとんど笑顔を見せない響が、その時だけ見せたハニカムような笑顔は、まさに同じ気持ちでここまでやってきた平手だからこそ、自然にできた笑顔なんだと思います。

響と平手の共通点②表現者として圧倒的であるということ

「好きな気持は誰にも負けません」という人はいくらでもいます。

しかし、響と平手の共通点は、「好き」なだけでなく、作り上げる作品が「圧倒的」であるということ。

例えば響だったら、芥川賞と直木賞のダブルノミネートであり、平手であれば、これまでの欅坂の作品を観れば理解できるでしょう。

表現者として圧倒的である二人。

それゆえに、この二人に感情移入できる人は、そうそういないかもしれません。

響に自分を重ねることはなかなかできないし、それは平手に対しても同じこと。

私たち一般人にとって、ある意味二人はとても遠い存在です。

でも、彼女たちの努力、孤独、闘い、苦悩、そういったものを「感じる」ことは、私たちにもできるはずです。

そして、いつの間にか引き込まれ、応援したくなるのです。

響と平手の共通点③ブレずに一貫している生き様

また、物語の主役が高校生くらいであれば、彼らの成長物語として描かれることが一般的です。

しかし響に関しては、なにがあってもブレずに一貫している少女として描かれます。

そして、このブレずに一貫しているというところもまた、平手友梨奈と共通している部分なのだと思います。

私達は、響や平手に自分を重ねることはできないかもしれませんが、そのかわり響や平手の周りにいる、彼女たちに関わるいろいろな人たちに感情移入し、いつしか自分を重ねてしまいます。

まさに、響や平手に影響を受けて、自分たちが成長していく成長物語なのかもしれません。

響に殴られ、蹴られ、化けの皮をはがされて、それでも最後は響のファンになってしまう人間たち。

平手はもちろん暴力は振るいませんが、それでもやはり彼女に関わった人間は、何かしら彼女から衝撃を受け、魅了され、ファンになってしまいます。

そこには、大人の事情なんかに左右されない、なにがあってもブレずに一貫する彼女の強い思いがあります。圧倒的な表現力があります。

そしてそれこそが、響と平手の共通点であり、平手が響を「カッコいい」と感じた部分、まさに二人がリンクして見える部分なのです。

そんな二人の生き様に、結局私も、気持ちよくやられてしまうのでした。

女優、演技者としての平手友梨奈の魅力

目の表情

女優・平手友梨奈の特筆すべきところは、まずなんと言っても目の表情でしょう。

パフォーマンスにおける彼女の眼力はよく言われるところですが、今回の作品で私が特に感じたのは、単なる目ヂカラだけではありません。

役の内面を、微妙な目の動きや表情で、実に上手く表現しているところです。

響という役は、そもそも口数が少なく、喜怒哀楽もあまり表に出さないタイプです。

クールで顔の表情もあまり変わりません。

唯一、小説の話をしているときや、好きな作家に会えたときだけ笑顔を見せます…と言ってもハニカム程度ですが。

それでも平手が演じると、対峙する相手に対して、響が今どんな気持ちなのかが、ビンビンと伝わってきます。

これは演出なのか、それとも平手が演じると自然とそうなるのかは分かりませんが、例えば、

相手を見る。
一瞬目を下に向ける(下を見る)。
そしてまた相手を見る。

たったこれだけの演技でも、下を見る前と後との響の気持ちの流れや変化が、とてもよく見えてくるのです。

さらには実際には見えないはずの、下を向いている時の目の表情までも、なぜかこちらに伝わって来るのです。

おそらくこういう細かい部分、微妙なニュアンスというものは、やろうとしてできるものでもないので、演出というよりは、平手自身のオリジナルなのだと思います。

月川翔監督との出会い

ただ、これらの演技は、この映画の監督である月川翔監督に対する信頼感があってこそだということは、忘れてはならないでしょう。

「演じることは、嘘をついているようで不安」だという平手に対して、とことん話し合いを重ねたという月川監督。

技術で役をこなすということができない(したくない)平手の魅力を存分に引き出し、女優としての可能性を広げたのは、月川監督の映画作りに対する真摯な態度があったからでしょう。

身体的能力の高さ

目の表現以外にもうひとつ、平手の演技を見て感じたのは、その身体能力の高さです。

言わずもがなかもしれませんが、やはり欅坂46という、他にはないダンスを武器とするグループのセンターを努めた彼女。

その圧倒的な身体能力の高さには、あらためて目を見張りました。

飛びながら相手に蹴りを食らわす場面では、監督はワイヤーアクションも視野に入れていたそうですが、結局は平手自身の身体だけで、美しく力強い飛び蹴りを披露していました。

蹴り以外にも、この映画はアクションシーンが多いのですが、そのすべてをスタントなしで平手が演じているというから驚きです。

ちょっとしたタイミングのズレが出来栄えに大きく影響しますし、一歩間違えれば事故や怪我にもなりかねません。

それをすべて完璧に、ひょうひょうと何度も繰り返して撮影していたというのですから驚きです。

学校の屋上から落ちるシーンは、さすがにCGだろうと思っていましたが、これも本人がワイヤーを付けて実際に屋上から落ちた(しかも何度も)というのですから、にわかには信じられません。

しかも、落ちていくときの、まったく恐怖を感じていない表情がまたいいのです。

いくらそういう役柄、設定だとしても、なかなかなできるものではありません。

完全に役を自分のものにして撮影に望んでいる証拠でしょう。

よく「憑依型」などとも言われますが、役を自分のものにできる力は、女優として最大の武器であることは、間違いはありません。

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映画『響』感想~まとめ

以上、平手友梨奈という表現者の魅力を、映画『響』から紐解いてみました。

響は小説のことを話すときだけ、純粋に素直に嬉しい表情をします。

そしてそれは平手友梨奈にとっても同じこと。

でも、いくら好きなことであっても、仕事になった途端、好きじゃなくなる、ともよく言われます。

「好き」なだけでは「仕事」としてやっていけないということでしょう。

映画の中でも、小説家として出版業界で売れるとはどういうことなのかが、大人の世界として、大人の事情として描かれています。

でも、本来の表現とは、誰かの都合で、誰かの事情でなすものではないはず。

表現せずにはいられない、自己の欲求にのみ支配されているはずです。

かっこいい生き方、かっこ悪い生き方、それはきっと誰も分かっているのです。

これは漫画だコミックだ、現実世界では絶対できない絵空事だ。

確かにそうかもしれません。

でも、かっこいいのです。本当にかっこいい生き方はこれなのです。

だから少しでも近づきたい。少しでも響と同じように生きてみたい。

きっと平手はそう思ったに違いありません。

響は、まさに平手が目指しているものに近い存在なのではないでしょうか。

平手友梨奈の目指すもの。彼女にとって「真・善・美」のようなもの。

普通は、そんなの無理だよねと諦めてしまうけど、平手は諦めない。

まだまだ全然自分は響じゃないけど、でも、諦めない。

響は言います。

「私はまだ傑作を書いていない。だから私は死なない」と。

きっと今の平手も同じ気持ちなのではないでしょうか。

その姿勢のひとつが、「卒業」ではなくて「脱退」という選択へのこだわりだったのではないか、とも思うのです。

「私はまだ納得していない。だから卒業じゃない」と。

さらに響は言います。

「私は書きたいものがある限り書き続ける」

平手にも、歌いたいものがある限り歌い続けて欲しい。

表現したいものがある限り表現し続けて欲しい。

場所なんてどこでも構わない。

そう、私達が見たいのは、圧倒的な表現者としての平手友梨奈と、本当の彼女の笑顔なのです!

今、この現状の中で映画『響』を観て、私はそんなことを思いました。

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