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映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」感想 彼女たちの圧倒的なものとは

  • 2020年9月4日
  • 2020年11月27日
  • 邦画

申し訳ありません。

私は欅坂46のことをまったく知りません。

知らないと言っても、もちろん秋元康プロデュースの女性アイドルグループであることぐらいは知っています。

でも、それ以上は何も知りません。

そのパフォーマンスも、年末の紅白で見たぐらいです。

そのくらい彼女たちに対して無知な私が、ドキュメント映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」を観てきました。

紅白でしか見たことがない彼女たちのパフォーマンスが、それでも頭のどこかに引っかかっていたのでしょう。

他のアイドルグループとは違った何かを無意識に感じていたのかもしれません。。

はたして彼女たちのことをほとんど知らない人間の目に、彼女たちはどう映ったでしょうか。

そこにはいくつもの、想像を超える圧倒的なものがありました。

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【僕たちの嘘と真実 感想】圧倒的に高い表現者としての意識

映画は、メンバーへのインタビューと実際のライブ映像などで構成されているのですが、その中でしばしば自分たちのパフォーマンスのことを「作品を作っている」と表現していることに新鮮な驚きがありました。

ただ単に「歌っている」とか「踊っている」のではないのですね。

可愛い服を着て、与えられた歌をただ与えられたままに歌っているのではなく、ひとりひとりが表現者として、皆で共に楽曲の世界観を作り出していく。

芝居をやってきた私からすると、それはあたかも圧倒的なミュージカル作品を作っているようにも見えました。

まさしく秋元康が描く物語を、メンバーひとりひとりが魅力あふれる俳優となって演じきる、そんな感じがしました。

【僕たちの嘘と真実 感想】主演女優・平手友梨奈の圧倒的存在感

その中にあって、絶対的センターの平手友梨奈の存在感はやはり圧倒的でした。

やはりというのは、紅白でたまたま見ただけの彼女たちの中にあって、平手のことは特に強く印象に残っていたからです。

まさしく主演女優の存在感でした。

何度も言いますが、私は欅坂46のことをまったく知らないでこの映画を見ました。

センターの女性が平手友梨奈という名前だということも、この映画を見てはじめて知りました。

いくらドキュメンタリー映画だと言っても、ここに映し出されていることすべてが本当だとは思いません。

それでもやはり彼女が圧倒的なものを持っていることは分かります。

他のメンバーのインタビューからも、平手に対する絶対的で圧倒的な思いが述べられます。

平手のためなら自分はバックダンサーでもいい、そんな思いです。

しかし、少し穿った見方をすれば、カメラを前にして、メンバーがどれだけ本音を語れるものか(私には皆さんが真摯に答えているように見えましたが)は分かりません。

ただ、ライブでの平手のパフォーマンスだけは真実です。

ここに嘘はありません。

そしてそのパフォーマンスは間違いなく、唯一無二の圧倒的なものなのでした。

【僕たちの嘘と真実 感想】圧倒的なものが生んだ混乱

平手友梨奈の圧倒的なものが、欅坂46を牽引し、今までにない女性アイドルグループに押し上げてきたことは間違いありません。

と同時に、彼女の圧倒的なものが、このグループに様々な問題、混乱を生んできたことも、この映画では語られます。

度重なる平手のライブや撮影への不参加、また、ライブ本番での突如のアドリブパフォーマンス。

天才ゆえの葛藤や抑えきれないパッションなど、我々一般人には理解できない彼女なりの思いというものもあるのでしょう。

しかし、一見ワガママとも取られそうな彼女の言動を、欅坂を知らない人が見たらどう思うだろうと感じる人もいるかも知れませんね。

欅坂を脱退した真相を今は語りたくないと彼女は言います。

ネットなどを見ると、脱退についていろんな憶測がされているのですね。

真実は当事者しか分からないことですし、分からなくていいと私は思います。

とにかく今は、彼女の口からその思いが語られるときを静かに待つべきだと思います。

【僕たちの嘘と真実 感想】表現するとは圧倒的な自己への欲求

私も舞台人なので、観客の魂を揺さぶるような表現をするとはどういうことなのか、この映画を観ながらずっと考えていました。

平手友梨奈のパフォーマンスを見ていると、そこには、表現したいという圧倒的な欲求を感じます。

それは、観客に感動を与えたいというような他者に対する欲求ではなく、もっともっと純粋に、自分自身に向かっていく欲求であるように感じます。

もうそこには「誰かのために」などというものはなく、誤解を恐れずに言えば、究極の自己満足とでも言えるようなものです。

誰かのためになんていう言葉がアマちゃんのように聞こえてくるぐらい、自分の胸をグサグサ刺しながらでも表現したい、圧倒的な自己への欲求です。

そして、その圧倒的な自己満足が、ひるがえって観客を圧倒的に魅了するのです。

平手を見ていると、感動させるということの残酷さのようなものさえ感じます。

平手のことばかり書いていますが、この映画で私が一番涙したのは、実は平手ではありません。

平手が不参加のコンサートで、平手の代わりに他のメンバーが代役でセンターを務めたときです。

平手のパフォーマンスは圧倒的です。

でも、それに負けないくらい、他のメンバーのパフォーマンスも圧倒的だったのです。

平手の代わりなんか絶対無理と誰もが思う。

でも、平手の代わりはできなくても、過去の自分を超えることはできるはず。

誰かと比べても答えは永遠に出てこない。

ここでもやはり平手同様、他者ではなく、自分自身へと意識が向かえば向かうほど、結果として欅坂46は観客を圧倒的に魅了するのでした。

【僕たちの嘘と真実 感想】圧倒的な繊細さ

そして最後に、この映画を観て欅坂46のメンバー全員に感じたこと、それは、圧倒的な繊細さです。

常に全員で手をつないで崖の淵に立っているようだと言っているメンバーもいました。

常に仲間を気遣い、リスペクトし、時には重圧に押しつぶされ、自信を失い、落ち込み、涙する。

ひとりひとりは今にも切れそうな、繊細な糸の1本1本だけど、それでも舞台上では圧倒的なパフォーマンスを繰り広げる。

もうダメだ、もう一歩も前へ進めないと思っても、そこから這い上がっていく姿が、メンバーひとりひとりのリアルな姿と重なって、パフォーマンスとして結実する。

だからこそ、観客は彼女たちの姿に熱狂し、感動するのではないでしょうか。

そんな気がしてなりませんでした。

【僕たちの嘘と真実 感想】圧倒的キャプテン・菅井友香の強さ

特に菅井友香にはその繊細さを強く感じました。

キャプテンという立場だからでしょう、映画の中で最も多くインタビュー映像が使われていましたが、彼女がひとつひとつ言葉を選んで話している姿に、誠実さと繊細さを感じます。

本人は自分は鈍感なほうだとおっしゃっているようですが、それは彼女の持っている強さなんだと思います。

繊細というのは決して弱いことではないはず。

内面の強さと繊細さが両立している彼女だからこそ、リーダーとして皆をここまで引っ張って来られたのだと思います。

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【僕たちの嘘と真実 感想】まとめ

以上、『映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」感想 彼女たちの圧倒的なものとは』と題して、私が感じた圧倒的なものについて書いてみました。

まったくの素人の感想ですので、的はずれだったり、ご批判も多々あるかもしれませんがどうぞご勘弁を。

でも、とにかく私はこれからも彼女たちを見続けようと思います。

「見続けること、それが大人の責任」だという、振り付けのTAKAHIROさんの言葉が胸に刺さりました。

欅坂ファンであってもなくても、この映画を通して彼女たちの圧倒的なものを、ひとつでも感じていただけたらなと思います。

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