たまたま映画館での予告編を観て気になったので鑑賞。
「君の膵臓をたべたい」の住野よる原作だというのも気になったポイントでした。
原作未読ですが、「青い」「痛い」「脆い」という言葉に、青春の、キラキラして「いない」ほう、影の部分、危うい匂いを感じます。
原作未読の方なら、きっと私と同じような理由で本作を気になっている方も多いのではないでしょうか。
そんな方へ向けて、感想を書いてみました。
「映画『青くて、痛くて、脆い』感想 傷つく勇気と覚悟を持て!」
では早速内容に入っていきましょう。
(前半はネタバレなし、後半はネタバレありで書いています。ご注意ください)
映画『青くて、痛くて、脆い』あらすじ
人付き合いが苦手で、常に人と距離をとろうとする大学生・田端楓と
空気の読めない発言ばかりで周囲から浮きまくっている秋好寿乃。ひとりぼっち同士の2人は磁石のように惹かれ合い秘密結社サークル【モアイ】を作る。
モアイは「世界を変える」という大それた目標を掲げボランティアやフリースクールなどの慈善活動をしていた。
周りからは理想論と馬鹿にされながらも、モアイは楓と秋好にとっての“大切な居場所”となっていた。しかし
秋好は“この世界”から、いなくなってしまった…。秋好の存在亡き後
モアイは社会人とのコネ作りや企業への媚売りを目的とした意識高い系の就活サークルに成り下がってしまう。変わり果てた世界。
取り残されてしまった楓の怒り、憎しみ、すべての歪んだ感情が暴走していく……。
アイツらをぶっ潰す。秋好を奪ったモアイをぶっ壊す。どんな手を使ってでも……。楓は、秋好が叶えたかった夢を取り戻すために親友や後輩と手を組み【モアイ奪還計画】を企む。
青春最後の革命が、いま始まる−− 。
映画『青くて、痛くて、脆い』まだ観ていない人に向けての感想【ネタバレなし】
グイと引き込まれる青春サスペンス
青春サスペンスと銘打った本作。
どうなるの?どうなるの?
どういうこと?どういうこと?
ずっといろいろ考えさせられながら、
時間軸も、大学4年の現在と、入学当初の過去を行ったり来たりしながらテンポよく進むので、途中ダレることもなくあっという間の2時間でした。
ただ、観終わった直後の感想としては、なんとも痛くて辛いものを観たな、という感じでしょうか…。
もしスッキリとした感動を味わいたいなら、本作はあまりお勧めできないかも…。
好みの分かれる作品
また、共感できる人と、まったくなんのことやら分からんと言う人と、はっきり分かれる作品かもしれません。
人によっては気持ち悪いと思う人もいるかもしれない…。
そうは言っても原作は、20代の若い人に圧倒的に支持された作品なので、今の若者の特徴を表しているとも言えるのかな。
…て、こんな言い方すると自分がおっさんになったことを痛感するだけですが…。
でも、いい年したおっさんでも、やっぱり痛くて辛くて、十分に嫌な気持ちになりました。
それは、自分の若い頃を見せつけられたようでもあり、年齢関係なく常に気持ちの奥底に常に抱えているものを見せつけられたようでもあるからかもしれません。
あなたに傷ついて欲しい作品
原作の住野よるさんは、この作品を読んで読者が傷ついてくれたらいいと言っていました。
そういう意味では、この映画は十分に成功していると思います。
スッキリハッピーな気持ちになれるのも、本や映画の魅力。
だけど、自分の中の嫌な部分をえぐられて、傷つけられることも、本や映画の魅力というか、必要なことなんだと思います。
自分がどんなに醜く卑しい存在か、弱い人間か自覚できなければ、そこから先へは進めない。
自分が次の一歩を踏み出すために、傷つくときは、逃げずに、傷つかなきゃならない。
傷つく勇気を持たなきゃならない。
そういうことを感じさせてくれる映画です。
すっきり爽やかな感動…というもではありませんが、ただ、最後まで救いのない物語ではもちろんありません。
最後には光が見えます。
未来に向けて、自分を越えようとジャンプする姿があります。
映画『青くて、痛くて、脆い』映画を観た人に向けての感想【ネタバレあり】
誰もが共感できる青く痛く脆い闇
この作品は、前述の通り、人によっては気持ち悪いと受け止められるかもしれません。
単なる根暗な逆恨み大学生の痛い話とも取れるからです。
事実、映画を観た直後、私は正直そう思いました。
自分にだけ特別に向けられていたと思っていたものが、実はそうではなくて、その他大勢の中のひとりに過ぎなかったと「勝手に」知る。
自分だけ見ててほしかった、自分だけのものでいてほしかったのに、いつしか相手は自分から離れていってしまった、自分は追い出されたと「勝手に」思う。
相手に裏切られたと思って「勝手に」逆恨みする。
自分勝手にどんどん妄想が膨らみ、それが事件にエスカレートすることは、現実世界でもよくあることです。
たとえ事件にまでエスカレートしなくても、誰でも楓と同じような経験をし、同じような思いにかられたことがあるでしょう。
私はあります。
正直言えば、年齢を重ねた今でもあります。
決して若い人だけの「青くて痛くて脆い」話ではないのです。
脆い優しさ
でも、もちろん実際は事件にエスカレートするようなことはないし、そんなこと、あってはなりません。
ではなぜエスカレートし、暴走してしまう人がいるのか。
それは
きちんと傷つくことができないから
傷つくことが怖いから
傷ついたことを受け止められないから
ではないでしょうか。
楓(吉沢亮)は自分が傷つかないように、相手との距離感を大事に生きてきた。
傷つきたくないし、傷つけたくもない。
それはある意味「優しさ」かもしれません。
なんでも腹を割って話すことが良いとは思わないし、腹を割れと相手に強要するような距離感も違うとは思う。
人との距離を測ることは、決して悪いことではないはず。
でも、相手を尊重する距離なら別ですが、自分が傷つかないために距離を取ってばかりの優しさも、結局は脆いものだとこの作品は教えてくれます。
誰も死なない青春サスペンス
この映画、うまくミスリードされていましたね。
原作を知らなかったので、秋好(杉咲花)は一体誰にどうやって殺されたのか?
脇坂(柄本佑)こいつか?
それともテン(清水尋也)か?
なんて思いながら観ていたので、グイグイ引き込まれました。
小説ではこういうミスリードの手法はよくありますが、映像でもうまく表現されていたと思います。
秋好が、本当に死んだのではなく「楓の中の秋好が死んだ」ということだと分かってからも、興味のベクトルが方向を変えただけで、さらにグイグイ引き込まれました。
結局だれも死なないけど、なるほど確かに、これぞ青春サスペンスだなと。
また、楓の秋好に対する「超個人的」な思いと、モアイの「世界を変える」という思いのギャップというか、アンバランスさの中にも、青さ、痛さ、脆さみたいなものを感じました。
どんなに大きな目標であってもスタートは個人的なものだったりするし、個人的な思いを世界にまで広げられるのもまた、青臭さが為せる技です。
だからこそ痛みも伴うし、逆に崩れるときはあっという間に崩れてしまう脆さもある。
そんな登場人物たちの中にある、若さゆえの不安定さにも、観る側を惹きつけるものがあると思いました。
映画『青くて、痛くて、脆い』感想まとめ~自分を変えろ!ちゃんと傷つけ!
秋好はなりたい自分像が明確にあるけど、楓にはなりたい自分像は明確にはありませんでした。
周りと軋轢を産まないために、めんどくさいことを避けるために、人に近づきすぎないことだけを自分のルールにして生きてきました。
でも、そんな楓がフリースクールの生徒にモアイの目指すところを聞かれて「世界を変えるんだ」と言ったときの、彼の表情は輝いて見えました。
その時の彼の気持ちはどんなものだったのか、本当のところは分かりません。
でも楓だってやっぱり理想の自分になりたかったはず。
なりたい自分になりたかった。
自分を、世界を変えたかった。
そう思わせてくれたのは、誰でもない秋好だったのに、そんな彼女を一方的に傷つけてしまう。
おまえなんか受け入れなければよかったと。そうすれば自分の大学4年間は、こんなに惨めじゃなかったと。
本当は受け入れてもらったのは自分のほうなのに。
認めてもらったのは自分のほうなのに。
モアイに一番居たかったのは他の誰でもない、自分だったのに…。
秋好への懺悔と後悔の中、なりたかった自分の姿を思い浮かべるシーンは、なんとも切なく胸に迫るのでした。
映画『青くて、痛くて、脆い』は、楓や秋好と同世代の人はもちろん、年齢を問わず、自分の『青くて、痛くて、脆い』ところを見せつけられているようで、胸に刺さる作品だと思います。
無視されても、拒絶されても、ちゃんと傷つく勇気と覚悟を持って生きたい!!
ラスト、全速力で秋好を追いかける楓の姿に自分を重ねながら、そう強く思いました。