「奇跡だったんだな…」
鑑賞後、映画館を出て、賑やかな繁華街を歩きながら最初に浮かんだのがこの言葉だった。
津波で福島第一原発が甚大な被害を受けたことは知っている。
当時、建屋が爆発した映像も繰り返し流れていたから、相当大変なことになっているという認識はもちろんあった。
でも、心のどこかで、きっとなんとかなるのではないかとも思っていた。
だって、ここは日本。日本は世界でも有数の安全大国なのだから。
でも、現実はそんなものではなかった。
「慢心」
この映画は我々にこの二文字を突きつける。
知っているようで全く知らなかった事実。
もうすでに過去のものとなりつつある事実。
今、目の前に広がる当たり前の光景が、かなりの確率で全く違った光景になっていたかもしれないという事実。
まさに絶望の瞬間が、たった9年前のフクシマで起きていたという現実。
その絶望の瞬間を力強く共有した現場作業員50人とその家族の思いを描いたのが、この『Fukushima 50 フクシマフィフティ』だ。
『Fukushima 50 』感想~目の当たりにする絶対などない現実
あの時、福島第一原子力発電所内で一体何が起こっていたのか。本当のことを知る人はどれくらいいるだろう。
原子力発電事業はクリーンで低コストの、まさに未来の電力としてスタートした。しかし、その発電の仕組みを説明できる人は少ない。
それでもとにかく安全、安心だと聞かされてきた。小学生のころ、授業で「原発は何重にも安全対策がなされているから絶対大丈夫」だと教わった記憶もある。
しかし、絶対は無かった。
この映画で原子力発電のすべてがわかるわけではないが、それでも事故当時、なにが問題で、なにが必要だったのかを明確に示してくれる。
聞き慣れない専門用語も飛び交うが、最悪の事態を避けるために現場の人間がどのように考え、どう行動したのか、緊迫感をもって語られる。
事故当時、遠くから撮影されたテレビ映像しか見ることのできなかった我々は、この作品で現場の本当の姿を目の当たりにするのである。
『Fukushima 50 』感想~過酷な現場作業員と家族の物語
NHKの特集などで事故原因を究明する番組はこれまでにも数多く作られてきた。
この『Fukushima 50』では、事故原因の分析と同時に、制御不能となった巨大構造物を前に現場の人間がどう立ち向かっていったのか、そして彼らの家族は何を思っていたのかが描かれている。
決死隊だった作業員
原子炉格納容器の爆発を防ぐため、高い放射線量の中、電源が失われた原子炉建屋内に突入するメンバー。
「エンジニアとして1号機に育ててもらった。あいつを助けてやりたい」と言って突入するメンバー。
まさに決死隊だ。
放射能漏れと言われても目に見えるわけではない。
線量計が振り切れても前へ進もうとする。
断念して戻ってくると、申し訳ありませんでしたと泣き叫ぶ…
映画だから多少の脚色はあるかもしれない。しかし90人以上への独自取材からなるノンフィクションが原作の今作品。
映画以上に現実は過酷だったに違いない。
信じて待つ家族の戦い
戦っていたのは現場の人間だけでなく、その家族も同じだ。
原発のおかげで生活が成り立っていた街なのに、避難所では東電のロゴが入ったジャンパーをそっと脱がなければならない妻の姿に、胸が締め付けられる。
それでも現場作業員の家族の思いは強い。
「あの人はプロだから、大丈夫」
顔面蒼白の妻の口から出る言葉は、今こうして思い出すだけでも涙が出てくる。
死の淵に立つ
1号機に続き3号機、4号機も爆発。
打つ手がない中、無情にも時間だけが過ぎていく。
若手を避難させ、限られたベテラン作業員だけを残して、最後の時を待つ。
あなたは信じられるだろうか。
そう、現実は、最後の時を、死を待っていたのだ。
考えられ得る手はすべてうち、それでも事態は悪化していく。
現場に漂う虚無感。
もうダメだ。
家族にこれまでの感謝のメールを打つ。子供達を頼む、理解のない父親で悪かった、と…。
現場を包む、まさに絶望の瞬間…
これが、9年前のフクシマで起きた原発事故の真実だ。この事実を、いったいどれだけの人が知っているだろう。
これは映画だけど、ここで語られていることは架空の話ではないのだ。
あの日からまだ10年も経たないフクシマで、日本で、現実に起こっていたことなのだ。
『Fukushima 50 』感想~俺たちは何を間違ったんだ?
この手の作品を世に問うのは難しい面もあるだろう。
事故原因の究明は確かに必要だ。
しかし、単に東電批判だったり政府批判だったりしても前へは進めない。
この映画は、誰かを批判することに主眼を置いていない。
非難されるべきは、皆の心にあった「慢心」の二文字だと、静かに語りかけてくる。
「俺たちは、何を間違ったんだ?」
佐藤浩市演じる1,2号機当直長の伊崎が、吉田所長(渡辺謙)に問いかける。
黙する吉田所長は後に手紙でこう伝える。
「慢心だよ。10メートル以上の津波は絶対来ないと思い込んでいた。我々の慢心だ」
震災復興オリンピックという位置づけの2020東京オリンピックを目の前にして、今の日本にこの二文字が重くのしかかる。
慢心の意味を、我々は今こそ考えなければならない。
『Fukushima 50 』感想~適材適所のキャスト陣
渡辺謙が魅せる、人間・吉田昌郎
吉田所長はこれまでにもいろいろな人が演じてきた。それぞれに吉田所長の人柄を魅力的に演じているが、今回の渡辺謙の吉田所長もまた素晴らしい。
以前テレビ番組で、吉田所長がなでしこジャパンの選手を応援していたという話を見たことがある。所長自ら応援団を買って出て、先頭に立って応援していたそうだ。
どんなに追い詰められた状況になっても、仲間に対するあたたかな眼差しは変わらない。吉田所長と一緒なら死も厭わない。そう思わせるだけの人間力。
そんな人情味にあふれ、またユーモアも兼ね備えた、人間・吉田昌郎を、日本を代表する名優・渡辺謙が見事に演じ切っている。
個性あふれるベテラン陣
佐藤浩市、田口トモロヲ、平田満、吉岡秀隆といったベテランをはじめ、他のキャスト陣も実に見事だ。
現場作業員だけでなく、東電本店の段田安則、篠井英介、官邸の佐野史郎、金田明夫、作業員家族の津嘉山正種、富田靖子、住民の泉谷しげる…と、個性あふれるメンバーが、まさに適材適所である。
個人的には、特に日野正平演じるベテラン作業員の、温かく味のある演技に心を打たれた。
『Fukushima 50 』感想まとめ~語り継ぐ、語り続けるフクシマの真実
震災から今年で9年。最近では原発事故の話もあまり聞かなくなった。震災の翌年から数年は検証番組も多く放送されていたが、最近ではそういう番組も減ってきた。
2020東京オリンピックは震災復興オリンピックという位置付けだ。復興は喜ばしいことだし、そのためにたくさんの人が尽力してきた。
ただ、10年ひと昔とは言うけれど、この教訓を決して昔の話にしてはいけない。
現場の人間は本当に死を覚悟したのだということ、最悪の事態を免れたのはほとんど奇跡だったのだということ、そして、廃炉作業はいまだ途中なのだということを、我々は忘れてはならない。
「残された我々は、このことを語り継がなければならない」
劇中、亡くなった吉田所長に向けて伊崎が語る言葉だが、映画にも後世に語り継ぐ力がある。
『Fukushima 50 フクシマフィフティ』は、語り続けなければならない、我々の使命ともいえる作品だ。
ぜひ多くの人に観ていただきたいと心から願う。
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(本ページの情報は2020年10月時点のものです。最新の配信状況は U-NEXT サイトにてご確認ください)
『Fukushima 50』
2020年製作(2020/3/6公開)
配給:松竹、KADOKAWA
監督:若松節朗2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故で、未曾有の事態を防ごうと現場に留まり奮闘し続けた人々の知られざる姿を描いたヒューマンドラマ。2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる地震が起こり、太平洋沿岸に押し寄せた巨大津波に飲み込まれた福島第一原発は全電源を喪失する。このままでは原子炉の冷却装置が動かず、炉心溶融(メルトダウン)によって想像を絶する被害がもたらされることは明らかで、それを防ごうと、伊崎利夫をはじめとする現場作業員や所長の吉田昌郎らは奔走するが……。(映画.comより抜粋)